フランスでひろがる老人ホームの充実
研究員コラム
高齢人口の増加は、地球規模で進行し続けている。内閣府によると、世界の総人口に占める65歳以上人口の割合(=高齢化率)は、令和42(2060)年には17.8%にまで上昇するものと見込まれており、今後40年、これまで以上に高齢化が進むことになるという。高齢社会において、介護サービスの需要は高まる一方だ。そうしたなか、フランス国内の老人ホームではユニークな取り組みがなされていることが分かった。
皆さんは「老人ホームの食事」と聞いてどのようなものを思い浮かべるだろうか。筆者は学生時代に老人ホームへ訪問した際、入居者一人一人に合わせて食べやすい形状に工夫された栄養バランスのよい食事に驚いた経験がある。食事の機能はもちろん、美味しさと提供方法、さらには環境にもかなりこだわっている事例がフランスにあるので紹介したい。
フランスには、施設内の食堂がレストランガイド『ゴ・エ・ミヨ』に認証されている老人ホームがある。ブルターニュ地方の港町・サン=マロの私設老人ホーム「コリアン・ル・ソリドール」だ。『ゴ・エ・ミヨ』はフランス発祥のレストランガイドで、赤い表紙で「レッドブック」とも呼ばれるミシュランガイドに対し、「イエローブック」と呼ばれている。評価は20点満点で点数化され、星ではなく「トック(コック帽)」の数(最大5つ)でランクを表す。また、『ゴ・エ・ミヨ』には、通常のレストランの評価基準とは異なる、老人ホームの飲食施設を評価するための245項目の基準(テーブルについている入居者の印象や介護スタッフの有無など)があり、調査員が抜き打ちで現地調査を行うそうだ。
「コリアン・ル・ソリドール」は、食事提供を改善するため2018年にこの『ゴ・エ・ミヨ』とパートナーシップを締結。2023年7月に認証基準をクリアしたのである。
料理は基本的に自家製のフランス伝統料理を用意しており、入居者の健康状態に合わせて刻んだり、混ぜたり、とろみをつけたりとアレンジを加え、味と風味を損なわないように配慮されている。提供方法は通常のレストランと同様、1皿ずつ料理を盛り付けて提供する。施設内の食堂の、白を基調とした、陽光が穏やかに差し込む広々とした内装はまさにレストランそのもの。クロスが敷かれ、きれいな花が飾られたテーブルでとる食事はとても美味しそうである。食堂の様子はこちらのページで確認できる。また、スタッフも入居者と同じ食堂で食事をとるほか、入居者の家族も一緒にランチやディナーを食べられる。食事の美味しさは単に料理の味だけでなく、それを取り巻く空間の環境的要素も大きく関わってくるだろう。リラックスできるように整えられた食事環境は、入居者のケアにつながるはずだ。
食事のほかに、老人ホームでの芸術分野の取り組みも見逃せない。老人ホーム内で多彩な展覧会や演劇などパフォーマンスが行われている事例がある。フランス・モンペリエ市にある「フランソワーズ・ゴフィエ老人ホーム」の1階に設置された大きなホールでは、誰でも無料で入場できるオリジナルの展覧会が開催されている。近隣の学校やレジャーセンターなどと提携しており、四半期ごとに多彩なプログラムを実施。例えば、老人ホームの入居者と地域の高等美術学校の交流によって生まれた、若いアーティストによる抽象画やワークショップで制作された作品などの展示がある。このホールは展覧会のほか、コンサートや演劇を行うことが想定されており、内部のビビットな壁の色の効果もあって活発な雰囲気に溢れている。また、一般に開放することで老人ホームに世代間交流の場としての機能が生まれ、入居者たちにとってよい刺激になっていることだろう。
介護の現場では、会話をはじめとするコミュニケーションが非常に重要だという話を聞いたことがある。老人ホームの環境の充実は、盛んなコミュニケーションを施設内にもたらすのだと、フランスの事例から考えた。日本においても、設備や物品のデザインに配慮するなど物理的な快適さを徹底することに加え、心理的な快適さや充足感を得られるような広い意味での「バリアフリー」をめざした施設が増えれば、誰もが長生きしたいと思えるような豊かさが醸成されるかもしれない。
国際文化観光研究室 土屋香子